今、ボクが薬剤師をしている理由をタラタラと書くシリーズの2回目です。
第1回で、職に困らないためとなんとなく漢方に興味があったら薬学部を選び、流れで薬剤師免許を取りました。本当は漢方の研究がしたかったのですが、いきなりそんな研究をさせてくれる所は漢方メーカーしかないと思って、ベンチャーな研究所に転がり込みました。ホントに押しかけ就職みたいな感じでした。この研究所は大学4年の頃からしていた研究テーマの共同研究者が、開設したばかりでした。
研究というか実験するのが好きだったんで何とかなるだろうと思っていたのです。しかし、そんなに仕事が甘いわけがなく、1年半で逃げ出すように退職しました。
実験は好きなんだけど、仕事となると違ってました。その当時の所長や上司には、大変ご迷惑をお掛けしました。
その後は、無職の期間が数ヶ月、ガードマン、菌床椎茸栽培・鮎の養殖の会社、と2年ほど薬剤師の資格は全く関係ない仕事をしてました。
その間も、大学の研究室にお邪魔して、漢方を研究する模索はしていましたが、何も形には出来ませんでした。
このまま中途半端なことをしていても無理だなぁと思って、薬剤師の資格にすがり実家のある岡山市に戻って地元の病院に就職しました。今でもそうですが、その当時も薬剤師不足で経験が全くないボクでも就職できました。
資格は持っていても、全然、薬剤師の仕事は出来ない、29歳の新米病院薬剤師となりました。
その病院で待っていたのは、後に妻となった女性のとの出会いだったり、とんでもない上司の存在だったり、後に自転車バカになるきっかけだったりしました。
当時の徳島大学薬学部では、薬の創ることを研究する人材育成を主な目的としていました。薬剤師として臨床の現場(病院や薬局)で働き、患者さんと接しながら、医師や看護師などの他職種の方と協力して病気を治療するための教育は全く受けていなかったと思います。
そんな薬剤師の資格は持っているけど、何にも知らない素人同然の30歳前のひねくれ者が病院で働くのですから、働く本人も働かせる職場も大変でした。
最初から、薬剤部のトップの女性上司とバチバチとやってしまいました。今思えば、若かったなぁというか、ごめんなさいと思います。白か黒しかない状況で物事を判断していたと思います。
そんなかなり尖ったボクを、マウンテンバイクという趣味の世界に連れ込んだヒトがいました。そのヒトのお陰で、ボクは楽しくない薬剤部という職場で仕事をしながらも、病院に行くのは楽しく過ごせたのかも知れません。
そのヒトは、ボクの当時乗っていたKHSというメーカーのピンクと青のあまり趣味の良くないMTBを見て声をかけてくれました。いつしか2人でレースに出たり、山を走ったりするようになりました。そして、いつしかMTBに乗ってとっても楽しい事を伝えたいと思って、冊子を作るようになりました。最初はチラシに毛が生えたようなものでしたが、いつしか100ページを超えるようなものになりました。
そんな冊子を作りながら、事務、検査、看護部、医局などにも知っているヒトができて、余暇はとっても充実したものになっていきました。
今でも当時の月刊みんちゅうを見ると、当時を思い出して読みいってしまいます。
アホな事に熱中するのが、本当に楽しかったです。
自宅から職場までカヌーで通勤(これは当時、BS放送で取り上げられて、電話インタビューされました。)
操山(近所の里山)をひたすら走り回ったり
新しい自転車を買う話をひたすら面白く書いたり
レースのレポートを書いたり
そんなアホな事を真面目に取り組み、当時のサイクルスポーツには何度か掲載されました。
あのヒトの描く挿絵が最高に面白かったです。
今思うと、本当に幸せな病院薬剤師だったと思います。
その芝生の心地よさが当たり前になると、麻痺してしまうんですよね。
この頃、漢方への思いは封印?忘れられていました。
まだまだ、続きます。
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