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店長の子育て苦笑い−5

療育が始まりました

年少(4歳)で発達検査を受けた長男は、その後2年間、毎月2回、個人療育を受けました。

最初の年は、体を動かす練習でした。

ハシゴを登ったり、かけっこをしたり、小さな体育館で遊ぶ感じです。

その当時、公園のジャングルジムで遊んでも、危なっかしくて、つきっきりでした。

長男のこだわり

登園の車中のBGMは葉加瀬太郎さんの「情熱大陸2007」と決まっていました。

その曲が終わるまでは、車から降りようとしませんでした。

我が家からこども園まで、登園にかかる時間はたった2分。

終わるまでしばらく駐車場で聴いていました。

毎日この繰り返しでした。

長男との過ごし方が分からない

週末はなにをして子供と過ごせば良いのか、ボクは分かりませんでした。

当時のボクは漢方の勉強会などで日曜日も出かけることも多くありました。

土曜日は当たり前に仕事でした。

妻は今で言う「ワンオペ」で育児をしていたのに近い状態だったかも知れません。

そんなボクが言うのも恥ずかしいですが、ホントに何をして過ごせば良いのか分かりませんでした。

キャッチボールをするわけでもなく、サッカーをするわけでもない。

ボクが父としていた遊びって、キャッチボールくらいでした。

ボク自身、父親と遊んだ経験も少なくて何をしたらいいのか分からない状態でした。

とにかく手探りでしたが、妻任せにしていたことも多かったと思います。

図書館に行っても、絵本を読むわけでもない。

読み聞かせにも興味は無い。

散歩に行っても、親とは手もつながず走り回る。

ストライダー(三輪車のような乗り物)に乗せれば、延々と走り続けて、帰ろうとしない。

午後5時の県庁のサイレンが鳴るまでには、何とか家に帰る方向に向きたいなと思ったりでした。

考えていた子育てとは、ほど遠い日々でした。

ある日、妻にもっと真剣に子供と向き合ってと言われたことがあります。

ボクも少しずつですが、変わるきっかけになりました。

今は中学生になった長男ですが、あの頃のボクは子育てってどんなことなのか全く分かっていなかったと今更ながら思います。

                                      続く

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